こんにちは。大抵のドラマより面白い人生をアフリカで送ってきたYukaです。
2008年に初めてアフリカを訪れ、2012年にタンザニアに移住し今に至る経緯を3回に分けて書かせていただいています。今回は最終回のタンザニア移住編です。
まだ読んでいないという方は是非1回目からお読みください。

移住する国をタンザニアに決めた理由は、ビジネスをするなら港がある国が良いだろうという適当な理由でした。また以前東アフリカを陸路で旅をしていた際、タンザニアからザンビアへの長距離バスで隣だった人が、来るときはサポートするよ!と言ってくれた言葉を真に受けていたということもありました。
しかし、いざタンザニアに着いてみると全くサポートをしてもらえませんでした。また、着いて早々に出張で訪れた隣国のウガンダで、全財産やビジネスアイディアのつまったパソコンなどが入ったバッグを盗まれてしまいました。容疑者は捕まったものの、裁判に持ち込むまでに一苦労し、やっと開かれた裁判には容疑者の親戚一同がやってきて、裁判官に賄賂を払いに行く現場に遭遇し、解決の見込みがないことを悟り大泣きをしました。結局盗まれたものは何も戻って来ず、一文無しになり、日本からも片道チケットで来たため日本に帰国する術もなく、元彼より送金してもらったわずかなお金で、タンザニアに戻り、長屋の一室を借りて、1日1食の貧困生活がスタートしました。
全財産を失った経緯はこちらの記事をどうぞ⇩
1日1食で栄養もまったく取れていない中、乗合バスに乗るお金もない為、炎天下を数時間歩く生活で、マラリアや腸チフスにもかかり苦しめられました。日本に帰れないままここで飢え死にするかもと思ったことも一度や二度ではありませんでした。今思い返しても、今までの人生で精神的にも経済的にも一番辛い時期でした。
そんな中、生きていくために名前くらいしか知らない人と結婚をし、その人の伝手でカジノでマネージャーの仕事を手に入れました。初めて給料をもらった日、当時日本人が経営していたレストランでチキン南蛮のランチセットを食べ感動したことを、今でも鮮明に覚えています。
そのカジノに偶然お客さんとして来てくれた日本人から、仕事を紹介され日系企業に転職をしました。安心したのも束の間、そこでタンザニア人の上司に自分のポジションを取られるのではと嫉妬され、入国管理局の職員達を呼ばれ強制送還騒動に発展しました。パスポートを取り上げられ、強制送還が決まるギリギリのところで、部下のお父さんが入国管理局のマネージャーだったため助けられたのでした。
その後社内恋愛で2度目の結婚をし、数年後に息子を出産しました。しかし、結婚直後に仕事を辞め無職になっていた息子の父親は、オムツ代を使い込みそれを指摘すると出て行ってしまったため、出産後2か月目よりシングルマザー生活が始まりました。
強制送還騒動のお話はこちらの記事をどうぞ⇩
国外退去寸前で助けられたお話はこちらの記事をどうぞ⇩
タンザニアでの出産のお話はこちらの記事をどうぞ⇩
出産後2か月で息子の父親が家出したお話はこちらの記事をどうぞ⇩
その後復縁を迫る息子の父親に逆恨みをされ、労働局職員が勤め先に押しかけてきて、逮捕されたりと本当に色々ありましたが、今でもタンザニアで暮らしています。息子の父親の行方は分かりませんが、当時2か月だった息子も今では6歳になりました。
息子の父親が労働局職員を呼んだため逮捕されたお話はこちらの記事をどうぞ
駆け足になりましたが、今に至るまでを書かせていただきました。
タンザニアに移住してから、この国の良い所そして嫌な所をこれでもかと言う程見て来ました。そして旅をしていた時や移住してきた当初は、みんなフレンドリーという好意的な感情を抱いていたのが、地獄に突き落とされるようなことを次々とされ誰のことも信じられなくなり、病んでいた時期もあります。ただどんなに最悪な状況の時でも、誰か手を差し伸べてくれる人がいて、ここまで歩んでくることができました。最悪な状況にいてもどうにかなるということを身をもって学び、精神的にも鍛えられ、1つ1つの出来事や出会いに今は感謝をしています。
これからも、長年タンザニアで暮らしているから分かるタンザニア情報を発信していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。もし、タンザニアでビジネスを始めたい、タンザニアを訪れてみたいという方は、是非レックスバートコミュニケーションズにご相談ください。
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