こんにちは。散々な目に逢いながらも、アフリカに居座り続けているYukaです。

 2008年に初めてアフリカを訪れ、2012年にタンザニアに移住し今に至る経緯を3回に分けて書かせていただいています。今回はその2回目です。

前回のお話をまだ読んでいないという方は是非1回目からお読みください↓

↑クリックできます

 お金を使い果たした為日本に帰国したものの、帰国して日が経つにつれ、やはりアフリカに戻りたい、ウガンダだけでなく他の国も見てみたいと強く思うようになり、お金を貯め約1年後にウガンダへ戻りました。

 ウガンダでは、前回ボランティア活動でお世話になったエイズクリニックの患者さんたちが作っている紙でできたネックレスの販売を日本で進めるための打ち合わせや撮影などをしました。

↑このネックレスを日本で販売していました

 その後陸路で、ウガンダの首都カンパラからケニア(ナイロビ、モンバサ、ラム島)、タンザニア(ダルエスサラーム、ザンジバル、バガモヨ)、ザンビア(ルサカ、ビクトリアフォールズ)、ジンバブエ(ビクトリアフォールズ)、ボツワナ(チョべ国立公園)を旅しました。

↑旅の途中の一コマ(ケニア、ナイロビ)

 移動はすべて長距離バスだったので、少しずつ変わっていく景色や気候、それぞれの国の人の特徴などを肌で感じながら旅をすることができました。まだスマートフォンが普及していない時代、ガイドブックで得た情報を紙に書き出し、それを見ながら旅をしていました。

★ケニア旅行記は29話~30話で綴っています↓

第二十九話:まずはナイロビへ|Yuka

★タンザニア旅行記は31話~32話で綴っています↓

第三十一話:ダルエスサラーム、そしてザンジバルへ|Yuka

★ザンビア旅行記は33話~34話で綴っています↓

第三十三話:最悪だった長距離バス移動|Yuka

★ボツワナ旅行記は35話で綴っています↓

第三十五話:チョベ国立公園|Yuka

 この滞在時に、どうにかしてウガンダに残る方法はないかと、日系企業に連絡を取ったり、知り合いに国際機関を紹介してもらったりと努力しましたが、徒労に終わりました。この時もお金を使い果たし、次に繋がるものも見つけられずに帰国することになりました。

 もう流石に諦めないといけないと思い、日本で派遣社員ではなく正社員の職を探し、当時付き合っていた彼氏と婚約をして、一緒に住むマンションの住宅ローンを30年で組み、自分の人生が30年先まで決まってしまったようで悲しい気持ちになっているときに転機が訪れました。

 前職の専門商社でタイを担当していたのですが、そのバンコクオフィスの人たちが休みに遊びにおいでと声をかけてくれ遊びに行くことになったのです。そこで新しく立ち上げるビジネスを一緒にやろうと声をかけられ、婚約者を日本に置き去りにし、正社員の仕事も辞め、タイに遊びに行った3か月後にはバンコクに渡っていたのでした。

★バンコクで泥酔し、翌日仕事が決まった経緯は43話~45話で綴っています↓

第四十三話:タイへ遊びに行く|Yuka

 バンコクで新しく立ち上げに関わった会社は、基本的に何をビジネスにしても大丈夫で、アフリカに行きたいならアフリカとのビジネスを作れば良いと言われていました。働く中で、タイ語の壁やアフリカとの時差の問題、また労働ビザをサポートしてくれる会社の社長との問題が次々と発生し、タイでビジネスを続けるモチベーションが下がってきていました。またジンバブエとウガンダに出張に行き、今までの旅行者としてではなく、ビジネスの場としてアフリカを再度見たことで変な自信がつき、自分でアフリカに来てビジネスをやろう!と8か月程で退職してしまいました。

★アフリカ出張からタイを離れる決断をするまで話は48話~50話で綴っています↓

第四十八話: 初アフリカ出張|Yuka

 改めて今思うと、東アフリカを中心に陸路で旅をして自分の目で色々見れたことが、その後移住先をタンザニアと決めるきっかけとなりました。また、タイは日本よりアフリカに近いからと日本で働き出したばかりの仕事を辞め、婚約者を置き去りにして、バンコクで働き始めましたが、それが結果としてタンザニア移住へと繋がっていきました。タイに遊びに行き泥酔していなければ、今の自分はいなかったのかもしれません。そう思うと、人生何が将来の自分に繋がっていくか分からない面白さがあるなと感じます。

さて次回はいよいよ最終回、勢いでタンザニアに移住してきてからの話をしたいと思います。

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