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こんにちは!Pick-Up!アフリカです。
今回は、エリトリアが政府間開発機構(Inter Governmental Authority on Development: IGAD)へ再加入したというニュースについて、エリトリアと周辺国の関係を軸としてご紹介しています。
ぜひご覧ください!
「Eritrea rejoins east Africa trade and security bloc IGAD after 16 years」
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エリトリアってどんな国?
エリトリアはアフリカ大陸の東部に位置する国で、スーダン、エチオピア、ジブチと国境を接しており、一面を紅海と接しています。
エリトリアの基礎情報はこちらです。
首都 | アスマラ |
面積 | 11.76万平方キロメートル |
人口 | 550万人 |
言語 | ティグリニャ語、アラビア語、諸民族語 |
宗教 | キリスト教、イスラム教他 |
こちらの記事では、エリトリアの魅力・見どころが7つ紹介されています。
① 世界で最も古い人骨(100万年前のもの)の発見地
②エリトリアの首都アスマラはイタリア調の街で、通称「新ローマ」「アフリカのローマ」
③かつて栄えたアクスム王国の一部
④アフリカにおける長い戦争のうちの一つエリトリア独立戦争の遺跡 ー戦車のお墓
⑤独立戦争での女性の大活躍
⑥建国から未だ1人しか大統領が輩出されていない
⑦アフリカでも歴史のある港町
魅力がいっぱいのエリトリアですが、一方で「アフリカの北朝鮮」と表現されることがあります。これは6番目の「建国から未だ1人しか大統領が輩出されていない」という事項も関わってきます。現在の状況を歴史の観点から読み解いていきましょう。
エリトリアの歴史
エリトリアは長い間エチオピアとの関係に悩まされてきました。
イタリア、イギリスと順に植民地支配を経験したのち、1952年に国連の決議によってエリトリアはエチオピアとの連邦制になりました。当初エリトリアは憲法、独立した議会、国旗、二つの公用語を与えられたものの、徐々にその自治権を奪われていきました。エチオピアは予防拘禁法の発布、新聞編集者・独立系出版社・目立ったナショナリストなどの取り締まり、労働組合や政党の禁止、エリトリア国旗のエチオピア国旗への置き換え、公共の場や学校でのエリトリアの現地語の使用禁止などを行っていきました。最終的に、1962年エリトリア議会が強制的に解散させられたことで、正式にエチオピアの州として併合されたとのことです。
エリトリアは独立を目指し、抵抗を続けてきました。1960年にエリトリア解放戦線(ELF: Eritrean Liberation Front)を設立し、独立を目指しました。しかし、内部対立などを経て内部崩壊。その後、エリトリア人民解放戦線(EPLF: Eritrean Liberation Front)を設立し、武力闘争での独立を目指しました。1991年、長い独立闘争を終え、エリトリアはようやくエチオピアの支配から開放されました。しかし、その独立は法的に認められたものではなく、1993年5月24日に独立を宣言することでようやく国際的にも認められました。
独立後も、エリトリアはエチオピアとの関係に悩まされました。1996年から1997年の間にエチオピアとの小さな政治経済問題が浮上すると、その後1998年に国境戦争へと発展しました。その戦争は2000年に停戦し包括的和平条約が結ばれるまで続きました。そして、2018年に和平協定が結ばれるまで両国間の緊張関係は続きました。(参考:エリトリアの歴史)
エリトリアは「アフリカの北朝鮮」と呼ばれる一面があります。独立後、エリトリアはイサイアス・アフェウェルキ初代大統領による独裁国家となりました。1997年にエリトリア憲法が完成し、国民全員の言論・宗教といった自由を保証すると明記したものの、憲法は施行されていません。憲法制定後には国民による選挙を行うと約束されていましたが、現在に至るまで行われておらず、一党独裁制が続いています。国民は政府によって表現・宗教など様々な自由がない他、拷問や暴力、強制労働が行われているとのことです。(参考)
データで見ると、
世界報道自由度ランキングでは、エリトリアは180カ国中174位に位置しています。
2017年時点でのGDPは60億米ドルと非常に低く、2022年のデータと照らし合わせると178位中147位に位置しそうです。(参考:外務省エリトリア国基礎データ)
現在のエリトリアとエチオピアの関係は、再び緊張関係にあると言えるでしょう。こちらの記事によりますと、エチオピアはエリトリアから紅海へのアクセス権を主張しているとのことです。現在エチオピアは輸入の90%をジブチの港に頼っていますが、そのコストが高い他、今後海軍にも力を入れていきたいことから、エリトリアの港を「借りる、買う、共に開発していく」ことができないかと主張しているとのことです。一方それに対してエリトリアは、自国の土地を与えるつもりはないと、主張しているようです。このような衝突は議論によって解決されることが理想ですが、最悪の場合戦争状態になりかねないとされています。
様々な要素から国際社会からも警戒されているエリトリアですが、実は日本との関係は良好で、2017年における主要援助国では日本が1位となっています。(参考:外務省エリトリア国基礎データ、対エリトリア 国別開発協力方針)日本はアフリカの北朝鮮との慎重な関係構築が必要になるでしょう。
IGADとは?
IGADとは、地域経済圏の一つです。アフリカには実に多くの地域経済圏が存在します。それぞれの経済圏ごとに狙いは異なりますが、多くの場合地域間での協力を通して経済発展していくことを目的としています。地域経済圏は多く存在するため、基本的に一つの国は複数の経済圏に所属しています。
IGADのホームページによりますと、1986年に地域内の激しい干ばつや自然災害の影響を緩和させるために設立された政府間旱魃対策開発機構(The Intergovernmental Authority on Development: IGAD)が元となっているようです。1996年にジブチで行われたサミットを通じて、経済協力・地域統合・平和や安全といった分野を加え、政府間開発機構(Inter Governmental Authority on Development: IGAD)として新たに発足したとのことです。最初はジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダのみでしたが、独立により1993年にエリトリア、2011年に南スーダンが加入しました。
しかし、エリトリアは2007年にIGADへの加盟停止を発表しています。その理由として、
①エチオピアとエリトリアの国境問題をケニアに監督してもらうといった内容への意見の相違
②IGADがソマリアの領土保全と主権の尊重を求めた国連安全保障理事会決議を守らなかったことへの失望
をあげています。当時、エリトリアはエチオピアとの国境問題を抱えたままであり、IGAD間でいざこざが起きたこと、また、エチオピアはソマリアのイスラム法廷会議(Islamic Courts Union : ICU)と呼ばれる勢力の拡大を危惧しており、侵攻を行っていました。この侵攻に対し、エリトリアは加盟国の主権が守られていない、と批判したとのことです。(参考)
それが今回、エリトリアはIGADに再加入したと発表されました。『「平和、安定、地域統合」に向けて取り組む用意がある』とエリトリアの情報大臣によって述べられたとのことです。しかし、なぜ再加入したのかについては未だ述べられていないとのことです。
今後、東アフリカ地域の統合が進むのでしょうか。もしくはエリトリア・エチオピア間の溝は深まるのでしょうか。また、エリトリアの思惑は何なのでしょうか。今後の展開に期待しましょう。
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